Celery's Meal Diary 〜セロリの食事日記〜

Celery's Meal Diary 〜セロリの食事日記〜

私の過去の食事と思ったことを残していきます

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サバの塩焼きの日

おうちごはんの写真

・サバの塩焼き

・大根とろとろ煮

・お米

・味噌汁

・サラダ

 

いい感じに温まりそうな和食です。

大根とろとろ煮は残り物ですし、特に手間のかかるものもないので簡単にできました。

とても美味しかったです。

 

正直毎日こんな感じで十分だと思います。

流石に毎日全く同じ食事だとNPCみたいですけどね笑

 

それで一つ思い出しました。

少し寒くなってきた頃の話ですが、とある冬用の服を一着、家の中で探していました。

ありとあらゆるタンスやクローゼットを探したのですが、不思議なことに見つかりませんでした。

カバンの中も机の中も探したけれど見つかりません。

 

流石に諦めて数日経った頃、ふとクローゼットの服を選んでいると、見つからなかったその服が急に見つかりました。

変なところに挟まっているわけでもなく、しっかりと確認したはずの場所に当然のようにありました。

不思議でなりません。

 

でも一生懸命探しているときに限って見つからないのに、何気ない時に見つかることって良くありませんか?

あるいは、直前まで認識していたものが、ふと気がつけばなくなっていること、

その他にもなくなった周辺をいくら探しても見つからず、消えたとしか思えないことなど、そういう経験ってたまにありますよね。

 

こういうのってもしかしてこの世界がシミュレーション世界で、描画に失敗しているんじゃないかって思えたりして面白いです。

シミュレーション仮説というと少し胡散くさいですが笑

リアルなシミュレーションが可能な技術を持つ高度な文明があるとすれば、シミュレーションを複数行ったり、シミュレーション世界の人がまたシミュレーションを行うことができ、シミュレーション世界は無数に存在する可能性があり、無数にあるシミュレーション世界に対して一つの我々が生きる世界こそが現実である確率が極めて低いというのは、確かにそうかもなと納得させられます。

地球のような環境が自然に発生する確率は極めて低いですし、かといって人工的に宇宙や惑星を作ることも想像できませんし、シミュレーションの方が簡単そうです。

こんな現実のようなシミュレーションなんて難しすぎるだろうとも思えますが、それはこの世界の人間がそう感じているにすぎません。

ゲームの世界の中のキャラクターが我々の世界や次元を認知できないように、我々もひとつ上の次元を認知できません。

ゲームを神視点で見ていると、その世界のキャラクターたちがすべき最善の筋道が分かったりしますが、キャラクター達はプログラムされていたり操作されない限りその動きを取れません。

同じように一つ上の次元の生物も、我々の世界を眺めながら、もっとこうすれば良いのにとか思ってるかもしれませんね笑

 

でももしシミュレーションの数を大きく上回る無数の宇宙が存在していたら、この世界が現実である可能性は半々くらいかもしれません。

 

また、一旦物を失くす云々の話に戻りますが、シミュレーションなら中途半端な描画バグ、例えば半分だけ服がある状態のような場面も起きるかもしれません。

しかしそういうことは今のところ見たことがありません。

100%ロードが完了しないと描画されないとかそういう設計なんですかね笑

あくまで起こりうると勝手に思っているだけで遭遇できるとは限りませんけど笑

あとは逆に有り得ないところから有り得ないもこが出現する、例えば人が突然現れるとかは動画でみたことはありますがフェイクとか画質の問題もありそうですね。

そう考えるとシミュレーションじゃない気もします。

 

こういうのも全部プログラムされた思考とか考えだしたら正直キリがないですけどね笑

 

ただもし仮にシミュレーションだとしたら何か目的があるんですかね。

例えば、滅亡の危機に瀕していてどうすれば滅びずに済むかパラメータを変えて実験しているとか、翼の生えた文明がもし人間に翼がない世界だったらどうなるのか興味があって実験しているとか。

 

 

まぁこういう話は私の妄想もありますし、やはり考えてもキリがないので、楽しむ程度で良いでしょう。

もし本当にシミュレーションだったとしても、プログラムされた人生だったとしても、チートを使えるわけでもないので、生まれたその次元の制約の中で精一杯生きることには変わりないですね。

 

 

美味しかったです。

 


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